【インタビュー】子どもたちの居場所「かっちぇて」が紡ぐ、つながりのかたち。

「やさしいいばしょ」では、若者たちがそれぞれのペースでつながれる「安心できる場」を、対話を通して育てています。今回は、古民家を改装し、子どもたちの居場所を地域とともにつくっている「かっちぇて」の片山さんにお話を伺いました。

1つは、長野県でこどもの一年間の山村留学やこどもキャンプを主催するNPO法人で働いていたときのことです。こども達が主役の文化があり、ゴハンづくりや薪仕事など日々の暮らしをこども達自身が手がけるような場所でした。

こども達の一年の暮らしはこども達自身で手がけ、多数決を取らず話し合って決めていき、週末はあふれる自然に出かけ遊び、田んぼや畑など山村の暮らしを楽しみます。大変なこともありますが、かけがえのない一年をこども達も大人達も過ごしていました。ほんと素晴らしいなと思いながら働いていました。

しかし、山村留学に参加できるのは、大きな金額の参加費を払えて、保護者の理解や応援がある家庭のこども達でした。どちらが欠けても参加はできません。当時の私は、お金と理解の二つのハードルを超えられる子は、様々な体験の機会であったり、理解ある大人達に出会えるチャンスがたくさんあるよなぁと思いました。こういう体験の機会にアクセスできない子達と、一緒に過ごすにはどうしたらいいのだろうとジレンマを抱え、考え始めました。「どうして、こども達が自分で決めて参加できる場は少ないのだろうか」と疑問を持つようになったのはこの頃です。

もう1つは、長野での仕事を辞めて長崎に戻ってきて私立の高校で働いたときのことです。
「オレなんて生きててもしょうがないし」か「私ってダメで居なくなっても誰も困らない」など話してくる生徒たちがいました。

それまでそういう語りをしてくる子達と過ごした事がなかったので、とてもショックでした。それまでに、勉強で成功体験がなかったり、自分の振る舞いを怒られ続けてきて、自信を失っている生徒たちでした。

でもそう話してくる子達は、それぞれ得意技とか持ち味があるわけです。国語の教科書は全然読み解けないけど推しのアニメの小説は暗記してて言えるし、素行が悪くて成績は悪いけど身体の動かし方は上手だからスポーツは頼られてたり、校則破ってバイトしてた子は学校では叱られてばかりけどバイト先のスタッフやお客さんからは慕われてたりとか。でも勉強の成績やルールが守れるかどうかで評価されてきて自信を失ってるのが、なんとも言えない気持ちになりました。

長野のNPOで働いてた時は、それぞれの持ち味を活かしながらこどもと大人と一緒に暮らしてましたから、なんでああいう場所が近くに無いんだろうって考えはじめたのです。

こども達が自分で決めて参加できて、それぞれがやりたい事がやれて持ち味が大事にされるような場所は、自分が思いつくぐらいだから、既に長崎にはあるだろうと思って検索したり調査したりしたのですが、市内にピンとくるところが見つからず。有料の体験活動だったり、一部の家庭しかアクセスできなかったりする場ばかり。

★秘密基地づくり。あそびの中で、同年代のこども達同士が、知ってる経験や技術を教え合うのがすごく大事。あそびはそういう瞬間がたくさん生まれます。
★かっちぇてのお家はこども達との古民家工事からスタートしました。

時代の流れですが、僕たちがこどもの頃に比べると、公園では制限や禁止事項が多かったり、空き地が使えなくなったり、学童に行ったり習い事をする子が多くなったりして、こども達がそのへんで遊んでいる風景が減ったように言われることがあります。この35年でこども達の外遊びの時間は40%以上減っていたりと調査の数字にも出ています。

でも、とある子から「けんちきって怒んないよね」ってよく言われます。
たしかに、怒ることはよっぽど誰かの尊厳を傷つけるような感じとか、理不尽な関わりをしてるのがあったら怒るかもだけど、少ないかもですね。その子に「そんなに大人達って怒ってるの?」って聞いたら、「遊んでたらいちいち注意されるし、お父さんとかものすごく怒鳴ってくる」って言ってました。

ある小学生と幼児の兄妹は、ボクの横でジュースを飲みながらおしゃべりしてて、「ほんと大人って色々勝手に決めるよね」「ほんとイヤだよね、決められるから早く大人になりたい…」って言ってました。

なので「そんなに決められるんだね」って話に入っていったら、「けんちきは、勝手に決めないよね」「ほんと、けんちき決めないね」って言ってくれて、おおちょっと褒めてくれてるのかなと思ったら、

これまでの活動の中で見えてきたこと、そしてこれから挑戦してみたいことについてもお聞かせください。

この10年、市内でも全国でも「こどもの居場所」という文脈で様々に活動やイベントは増えてきました。一見良さそうな気がするのですが、当のこども達自身が「あそこはお金がかかるから行けないもん」「人が多すぎてゆっくりできない」「色々怒られるからつまらない」と声を聞かせてもらった場所もあったりします。ひどければ、大人達や企業の課題解決が優先目的になってるなと思えるものも。

あれ?数は増えたけど、こどもの意見や子どもの権利を大事にしてくれるような場所や活動ってそんなに多くないのかも?と、この一年ほど考えるようになりました。

それぞれ居場所は多様でいいと言ったらそれまでになっちゃうのですが、「こども自身が居場所と思えるような場ってどんなところなんだろう」って考え続けることは必要だと思います。色んな形はあったらいいけど、こどもにとってそれはアリ?って考えるって事です。そういった話ができる場は意外とないのではと感じています。


せっかくの人手やお金、色んな方の人生の時間を使うわけですから、こども達に素敵な時間が手渡されていくような場は増えてほしいなぁって思っちゃいます。もちろん私自身も自分が開いてる場が「こどもたちの声を聞けてるのか」「こどもの権利を大事にできているのか」を問い続けていかないとです。いろんな人と考えを交わしたいなって思います。

そういう想いもあってまずは今年2025年の5月から、「こどもまんなか居場所づくり塾」って長崎伝習所の事業を活用した活動をはじめたりしました。仲間たちと一緒に学び合っているところです。場づくりをはじめる人が出てきたら良いなって想いでやっています。

子どもたちが「自分らしくいていいんだ」と思えるような関わり方をするうえで、意識していることはありますか?

私はまず、こども達の話をとことん聞くことを大切にしています。

基本は「これをやりたい!」と言ってきたら、「おお、やってみな!」「どぞどぞ!」「ええやん!」と肯定するスタンスです。そうすると、あらかじめ構成された予定や決まりごとはないので、何が起こるかわかりません。でも、その予測不能な展開を、こども達と一緒に面白がっています。

ここは色々できるけど、大人が叶えてあげる・してあげる場所ではなく、こども達が自分で挑戦できる場所です。失敗があるからこそ、成功した時の喜びが大きくなる。だから基本はこども達にまかせています。

また、大人の自分にはできないことを、こどもが当たり前のようにやってのける場面もたくさんあります。大人はたまたま先に生まれて、できることが多いだけ。わからないことやできないことは、こども達に頼ることもあり、その時は「ありがとう!」と伝えています。

「居場所」という言葉には、いろんな意味が込められていると思います。片山さんご自身は、どのようにその意義や可能性を捉えていますか?

居場所ってなんだろうと考えてみると、会いたい人達が居るってのは大事だなって思います。具体的に○○さんと会いたいのですと言えなくてもよくて、あそこに行くと話を聞いてもらえたり、自分を受け入れてもらえるような他者たちが居る感覚があれば、居場所になっているような気がします。リアルでもオンラインでもそうなんじゃないでしょうか。

また、自分一人だけが居て成り立つような居心地の良い時間・場所も居場所とは言えると思いますが、やっぱり他者の存在があったほうがいいような気がします。
こどもも大人も自分が肯定できるような時間の積み重ねは大事だと思っていて、一人だけよりも他者が居るほうが自分の輪郭がはっきりするなと思います。そんな中で一緒に過ごしてくれる人たちが居るって事が大事なんだなと。

うちは、こども達の「あそび」が中心にあって、それぞれの心に浮かんでくるやりたい事に取り組んだりチャレンジしたり。その人自身を表現する場になっていると思いますから、まさにその人そのものと関わるチャンスがめちゃあるよなって思ってます。そういう場で、隣に居させてもらえるってめちゃありがたいです。

こども達の居場所を考えるときに、「あそび」は大事な要素だとやっぱり思います。こども達が自由に過ごす空間に「キミは居てもOKだよ!」って思ってもらえるような大人でありたいと思います。あっ、ここ自宅なんですけどね(笑)

Previous post 【インタビュー】まっすぐじゃなくてもいい。「NG会」が描く、居場所という風景
Next post 【インタビュー】波のようにひろがる「おさかなだお長崎」が描く、新しい地域コミュニティ